ユナボマー事件(セオドア・ジョン・カジンスキー)

1978年5月から1995年にかけて
郵送された爆発物が爆発するという事件が発生したが
この事件を引き起こしたのが
ユナボマーことセオドア・ジョン・カジンスキーだ。




事件のあらまし


1979年11月、シカゴからワシントンDCへ向かうアメリカン航空444便で
爆破テロ未遂事件が起きた。死者は出なかったものの
煙を吸い込んだ乗客12人が病院に搬送され、FBIが捜査を開始した。

1985年10月カリフォルニアで
爆弾小包を明けたパソコン店経営者が爆殺され
ユナボマー初の死者が出た。

1994年10月にはバーソン・マーステラ社の重役が
1995年4月に木材業界のロビイスト団体代表が
ユナボマーによる爆弾小包によって命を落としている。

1995年、ユナボマーは
犯行をやめる代わりに、「ユナボマー・マニフェスト」を全国紙に載せる条件を出した。
これにニューヨークタイムズとワシントンポストが応じた。

ところがこの論文を読んだユナボマーの弟が、兄による論文だと感じFBIに通報。
その後捜査が進められ、モンタナ州の山小屋にいるところを
100人の捜査員、米軍兵士に包囲され逮捕された。


セオドア・ジョン・カジンスキーについて


カジンスキーは1942年5月22日、シカゴ郊外のイリノイ州エバーグリーンパーク で
ポーランド系の2世移民の家庭に生まれる。

少年期のカジンスキーは内向的な少年であったが
頭脳明晰で、IQが167もあり、地元では天才児として注目されていた。

16歳の時にハーバード大学に進学
20歳でミシガン大学の大学院に進学し
そこで数学の修士号と博士号を取得した。

25歳でカリフォルニア大学バークレー校の助教授として就任し
将来を期待されていたが、1969年に大学を辞め
その2年後には電気も水道も通っていない山小屋で自給自足の生活を始めた。

カジンスキーの犯行は16回にも及ぶ。
おもな事件は次の通り

1978年5月 ノースウェスタン大学の材料工学科教授に小包爆弾を送る。
1979年11月 シカゴからワシントンDCへ向かうアメリカン航空444便の爆破テロ未遂事件を起こす。
乗客12人が病院に搬送。
1985年10月 カリフォルニアでパソコン店経営者を爆殺
1993年6月 カリフォルニア大学の遺伝学者に爆弾を送る。
イェール大学の教授にも爆弾を送りつけた。
1994年10月 バーソン・マーステラ社の重役爆殺。
1995年4月 木材業界のロビイスト団体代表を爆殺。


ユナボマー逮捕とその後


カジンスキーは妄想型統合失調症を診断され
奇異な行動でしばしば裁判の進行を妨げた。

心理が進まないと考えた検察官は
仮釈放なしの終身刑でカジンスキーに司法取引を持ちかけ
カジンスキーは承諾、刑がが確定した。

カジンスキーは現在
コロラド州にあるフローレンス刑務所で服役している。

タグ:アメリカ
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