シャロン・テート殺人事件(チャールズ・マンソン、マンソン・ファミリー)

1969年8月8日に、チャールズ・マンソン率いる
マンソン・ファミリーによって引き起こされた殺人事件。

シャロン・テートを含む5人が犠牲になった。

事件のあらまし


1969年8月9日
ハリウッド シエロ・ドライブ10050番地で
壁に血のりで殴り書きされた「Pig」とともに
5人の惨殺死体が発見された。

殺害されたのは、この家の持ち主で
映画監督のロマン・ポランスキーの妻で女優のシャロン・テート

ヘアスタイリストとしてハリウッドで活躍する
ジェイ・セブリング

コーヒー王の相続人
アビゲイル・フォルジャー

アビゲイルの恋人でポランスキー監督の友人でもある
ヴォイティック・フライコウスキー

たまたま通りがかりマンソン・ファミリーと遭遇した
スティーヴン・アール・ペアレント


ワトソンらはまず
屋敷に侵入しようとしたところを呼び止めたペアレントを殺害

その後セブリング、フライコウスキー、フォルジャー
最後に命乞いするテートをめった刺しにして殺した。

この時テートは妊娠8ヶ月であった。


同年8月16日、マンソンと
マンソン・ファミリーのメンバー20名が別件で逮捕される。

その後アトキンスの自慢話により
シャロン・テート事件実行犯が断定され
ワトソン、アトキンス、パトリシア・クレンウィンケル
リンダ・キャサビアンが逮捕。

マンソンは直接手を下していないが
共謀罪で逮捕された。


チャールズ・マンソンについて


チャールズ・マンソンは1934年11月12日
オハイオ州シンシナティで生まれた。

母親は16歳の売春婦で、父親ははっきりしていない。

マンソンという姓は
母親が一時的に結婚した時の相手からもらったという。

チャールズが5歳の時
母親はガソリンスタンドで暴れ投獄されてしまったため
祖父母に預けられることになるが
その後親戚を転々とし
最終的には孤児院に入れられてしまった。

孤児院を脱走し、母親に再開するが冷たく見放されてしまう。

一人で生きることを余儀なくされたチャーリーは
9歳で犯罪に手を染め、以降人生の殆どの時間を
刑務所で過ごすことになる。

チャーリーが釈放された1967年は
ヒッピーが大流行していた時でもあった。

チャーリーのアウトロー的な雰囲気は時代にマッチし
多くの若者たちがマンソンに夢中になった。
彼らはファミリーとして集団生活をはじめる。

その後チャーリーは無差別殺人を計画
自分は直接指示を下さず
実行は盲目的な信者たちにさせることに成功。

そのひとつの事件がシャロン・テート殺人事件である。


チャールズ・マンソン逮捕とその後


シャロン・テート殺害の主犯格とされたスーザン・アトキンスは
1971年に死刑判決を言い渡されたが
1972年のカリフォルニア州の死刑一時撤廃に伴い終身刑に減刑された。

2009年9月にカリフォルニア州刑務所で脳腫瘍のため
61歳の生涯を閉じた。


一方チャールズ・マンソンも死刑を宣告されたが
その後終身刑に減刑、現在もカリフォルニア州刑務所に服役している。




シャロン・テート殺人事件は
マーダーケースブックスの第1巻であったこともあり
以来強烈に覚えている凶悪事件です。

157cmと小柄で
冴えない風貌のマンソンが
なぜここまで人々を魅了したのか

やはり時代とマンソンの巧みな話術によるものなのでしょうね。

シャロン・テート殺人事件の詳細や
マンソンのバックグラウンド
専門家によるマンソン・ファミリーによる事件の見解など
マーダーケースブックに詳しく書いてあるので読んでみると面白いですよ。

マーダーケースブックスは今は廃刊ですが
ヤフーオークションに出品されてることもあります。
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