シカゴ連続少年殺人事件(ジョン・ゲイシー)

シカゴ連続少年殺人事件は
1970年代後半に起こった連続殺人事件。
ジョン・ゲイシーは合計33人もの少年を殺害した。


事件のあらまし


1978年12月、15歳のロバート・ピースが
アルバイトの面接に行ったきり行方不明になった。

ピースの家族からの捜索願が出されると
刑事は面接先の経営者、ジョン・ゲイシーを訪ねた。

ゲイシーはピースの行方は知らないと
しらを切り続けていたが
室内に漂う異様な悪臭に不審を持った刑事は
ゲイシーが事件に関わっていることを直感する。


後日捜査令状を撮った警察が
ゲイシーの家を家宅捜索すると
床下から29体もの遺体が出てきた。
その他4体がデ・プレイン川で発見された。

被害者は全て9〜20歳の少年で
行方不明になっていたピーストの遺体も含まれていた。

ゲイシーの殺人の手口は
言葉巧みに男娼や自分の従業員を自宅に誘い
ポルノごっこと称し手錠をはめて被害者の自由を奪ってから
強姦し、首を絞めて殺害するというものであった。

ゲイシーは連続殺人事件で逮捕、起訴された。


ジョン・ゲイシーについて


ジョン・ゲイシーは、1942年3月17日
イリノイ州シカゴで生まれた。

誕生当時心臓に疾患が見つかり
強い子供に育てようと期待していた父は失望してしまった。

以後、父はゲイシーを
ムチで叩いたり、「クズ」「間抜け」などと罵声を浴びせ

ゲイシーがパニックになったり心臓発作を越して気を失うほど
徹底的に虐待し続けていたという。


それでもゲイシーは父親を尊敬し
ゲイシーは父親の期待に応えようと
勤勉に励み、働き、やがて実業家としての道を歩む。

1964年には、実業家の娘と結婚
一男一女に恵まれた他
青年商工会議所で活発に活動したり
ケンタッキーフライドチキンの経営を任されるなど公私共に充実した。

そんなゲイシーを父親はようやく認めはじめたた矢先
ゲイシーは少年に対する性的虐待の罪で逮捕されてしまう。

ゲイシーは10年の実刑判決を受けるも
模範囚だったため、わずか16ヶ月で出所することになる。

しかし、出所前に父が肝硬変で死亡する。


その後再びビジネスに身を投じ
事業を軌道に乗せると再婚。

休日にはピエロに扮し
福祉施設を訪問して
子どもたちからも慕われた。

一方で少年あさりの方は止まらず
ある日偶然に青年を殺害してしまう。

以後、ゲイシーの強姦殺人は習慣化し
再離婚後殺人頻度は更に加速していった。


ジョン・ゲイシーの逮捕とその後


ゲイシーは精神鑑定で
多重人格と診断されるようにあらゆる手を尽くしたが、
陪審員はその主張を却下
1980年に12回の死刑判決と21回の終身刑判決を宣告された。

しかし
死刑を回避しようと
あらゆる法的手段を用いて上告を繰り返したが
面会に来た少年に対し殺人未遂事件を犯し
再審請求は退けられた。

ゲイシーは1994年
薬物注射によって死刑が執行。

薬物注射されても
すぐには死なず

18分後に絶命した。



大量連続殺人事件のケースとして初めて知ったのが
シカゴ連続少年殺人事件でした。

マーダーケースブック
ゲイシーの殺しの手口や
遺体掘り起こし作業の凄惨さなど
よみながら、ものすごく気分が悪くなりました。

29体もの遺体を床から掘り起こすのは
容易なことではなかったそうです。

寒さや悪臭のひどさだけでなく
そこからくる病気や感染など
遺体を降り起こす捜査官には
生命の危機もあったんですね。


ゲイシーが死刑執行で絶命するまで時間がかかった
ということも不思議なことでしたが

ロバート・K・レスラー氏は
死刑執行後のゲイシーが「会いに来た」
という不思議な体験をしています。

これもちょっとゾッとする話ですね。

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