大久保清連続殺人事件(大久保清)

大久保清連続殺人事件は
1971年に群馬県で起きた連続女性殺人事件。

「絵のモデルになってほしい」と言葉巧みに女性を誘い
うち8人を殺害、山中に埋めた。

事件のあらまし


日付が変わった1971年5月10日深夜、藤岡警察署に、一人の男性が現れた。
男性の妹、A子が前日の夕方から行方不明なのだ。

A子は
「教師という男から、絵のモデルになって欲しい」と頼まれたといって
自転車で家を出ていったきり帰ってこない。

警察署を出た男性は、その足で妹を探し
その日の早朝、市内の信用金庫の駐車場内に
A子の自転車を発見した。

しばらく様子をうかがっていると
軍手をはめた中年の男が自転車に近づいて
手で拭うような動作をしているので

男性が声をかけると
中年男は慌てて乗ってきた自分の車に乗り込み
そのまま走り去った。

車のナンバーを覚えていた男性はすぐに警察に通報。
やがて車の持ち主が、大久保清ということがわかった。

大久保はレイプや恐喝などの罪で服役しており
同年の3月に府中刑務所を出所したばかりだった。


大久保清


大久保清は
1935年1月17日に、群馬県碓氷郡八幡村で
国鉄の機関士と、ロシア人と日本人のハーフの母の間に生まれた。
清の他にも兄弟は板が、母は清のことを特に可愛がり
「ボクちゃん」といって溺愛した。

口達者な子供であったが
成績は良くなかった。

性的には早熟で
小学校6年生のときに幼女の性器に
石をつめるといういたずらをするが

清の母は子供のお医者ごっこの延長と
清をかばった。

万引きや強姦事件など
大人になった清が事件を起こしても
母はいつも清をかばった。

清の「なりすまし」は、最初の強姦事件から始まっていた。

1955年、清は大学生になりすまし
17歳の女子高生を強姦している。

1966年、今度はベレー帽をかぶり
新車のいすゞ・ベレットに乗り
いかにも作家というような出で立ちで女性に近づき犯行を重ねた。


そして1971年。
ベレー帽をかぶり、ルパシカを着
両親から買ってもらったマツダのマツダ・ファミリアロータリークーペに乗り
自称画家として、言葉巧みに、なんと1,000人以上もの女性に声をかけていた。
そのうち車に連れ込んでセックスをしたのは数十人にものぼり

さらに車に連れ込んだ女性の中で
からかわれたり素性がバレたり
自分にとって都合の悪い女性8人を殺害した。
A子は、清の7番目の犠牲者であった。


大久保清の逮捕とその後


大久保清は1971年5月14日、逮捕された。
逮捕後は頑として口を割らず
時として暴れたりもしていたが

車内に残された被害者の体毛などが検出され
黙秘が難しくなってくると、前面自供を始めた。

1973年2月22日に大久保清は死刑判決を受け
1976年1月22日に死刑が執行された。


こんな醜い事件を起こして
大久保清もそうですが
彼の両親にも腹が立ちます。


大久保清の父親は女癖が悪かったといいますし
そのひどさは、実の息子(次男)の初婚・再婚相手にまで
手を出すほど。

そして母は盲目的に清を溺愛し、罪を犯してもかばってしまう。

逮捕された時36歳の息子のことを
「ボクちゃん」と読んでいたというから呆れます。

大久保家でまともなのは
清の奥さんに清とはよりを戻さない方がいい
と忠告した次男だけですね。

清が被害者を殺害するのは
相手に拒否されたり、脅されたりと
自分の思いに反した行動を相手がとったときなので

かなりわがままで逆上型の人間だったようですね。


大久保清は、死ぬまで事件の被害者に対して
謝罪や後悔の念を表したことはありませんでした。

この男の性格からすれば驚くことではありませんが…

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